甘い幸福


 いつもの「おまんじゅう」の代わりに、蓋の下から現れたのは、見たこともないお菓子だった。

「たまには、変わったお菓子が食べたいわ」

 そう恩次郎に言ったのはこの間の事。
 それに応じて違うものを用意したのだろう。

 黒や白の小さな丸いものが沢山詰まっている。
 甘い独特の香りが鼻をついた。

「珍しい異国の菓子で、『ちょこれいと』と申します」

 恩次郎が揉み手をしつつ、説明を始めた。

「上つ方から下々まで、幅広く人気のある菓子でございます。
非常に美味であるだけでなく、滋養にも優れており、雪山に閉じ込められた旅人が、
『ちょこれいと』にて命を繋いだという逸話もありまして、実に優れた品物でございます。
入手は困難でございますが、今日は姫様のために特別に用意いたしました」
「美味しそうね。珍しい物をありがとう」
「へっへっ。今後も豪徳屋をご贔屓に・・・」

 恩次郎が帰った後、妖ノ宮は「ちょこれいと」を一つ摘まんで口に入れた。
 口の中一杯に甘さが広がる。
 微かなほろ苦さが甘みを引き立て、何とも幸せな気持ちにしてくれた。

(まあ、思ったよりずっと美味しいわ!)

 気がつけば、数個が消えていた。
 もう一つ取ろうとして、妖ノ宮は手を止める。

(すぐ無くなっちゃうと勿体無いわね。
神流河のお菓子よりも甘いし、あまり一度に沢山食べない方がいいかしら。
滋養に優れているとも言ってたし・・・)

 妖ノ宮はしばし考え、微かな笑みを浮かべた。




 鳩羽は大量の書類を前に途方に暮れていた。

 最近は戦場へ出ることが多く、予想を遥かに越える量が溜まってしまっていた。
 ある程度は部下に任せているが、鳩羽自身は元より、腹心の者にもこうした仕事の得意な者がいないのが悩みの種であった。

 誰か、有為な人材がいればいいのだが・・・。

(輝治殿に頼るのは危険過ぎるな・・・)

 かの文官の油断のならない目付きを思い浮かべて、鳩羽は溜息を吐いた。
 とにかく、悩んだところで積み上がった書類の山が消えてくれるわけではない。
 一枚摘み上げたところで、「鳩羽、いるかしら?」と、澄んだ声が彼の動作を制止した。

「妖ノ宮か。どうしたのだ?」
「ごめんなさい、忙しかったかしら」

 書類の山を眺めて申し訳なさそうな顔をする妖ノ宮。
 何となく助かったと思ってしまった自分に鳩羽は苦笑した。

「いや、大事な話があるのならかまわない」
「大した事ではないのだけれど・・・。これをあなたに渡したくて」

 妖ノ宮は小さな布袋を差し出した。
 中を覗くと、甘い香りが辺りに漂う。

「異国のお菓子なのよ。とても美味しいの!
滋養もあるんですって。戦場に持っていっても便利じゃないかしら。
最近鳩羽は忙しくて疲れているかもしれないから、持って来たの」
「そうか。気を使わせて済まない」
「いいのよ。・・・それに、一度お礼を言っておきたかったのよ」

 目を見開く鳩羽に妖ノ宮は静かに語った。

「私を連れて来てくれて、感謝しています。私の後盾があなたで良かったって思うわ」

 鳩羽は当惑した。
 感謝されるようなことではない。
 城の中で安楽に暮らしていた彼女を利用するために戦地まで連れ出したようなものだ。


 ふと、遠い面影が蘇る。
 百錬京で初めて見た、妖ノ宮の姿。

 広い部屋にただ一人、人形のように座っていた姫。
 巷で語られているような、化け物染みたところは無かった。
 愛らしい顔立ちに、艶やかな黒い髪。

 向けられた瞳は無機質で、何も映していないようであった。
 それを見て、何故か胸が痛んだ。

 城を出て、彼女の表情は徐々に豊かになっていった。
 好奇心に瞳を輝かせて座所の周囲を歩き回る姿、少女らしい笑い声は心を和ませてくれる。
 鳩羽は改めて妖ノ宮を見詰めた。
 かつて雪のように冷たく感じられた頬には微かに赤みが差し、表情の無い瞳は、暖かな光に満ちていた。
 そこに、紛れもない感謝の気持ちが溢れていた。

 沈黙が続き、妖ノ宮は不安になった。
 鳩羽の方では自分を引き取ったことに後悔を感じているのだろうか?

「お邪魔だったかしら・・・。部屋に戻るわ」
「待ってくれ」

 項垂れる妖ノ宮を鳩羽は引きとめた。  その瞳を真っ直ぐに見詰めながら、鳩羽は真剣な口調で語った。

「そんなことはない。私の方こそ感謝している。あなたには助けられてばかりだ。――あなたがここに来てくれて、本当に良かったと思っている」

 妖ノ宮は柔らかな笑みを浮かべた。
 鳩羽は心のうちにゆっくりと暖かさが染み込んでくる。
 思いがけない感傷に彼は戸惑いを覚えた。

 彼の内心を知らない妖ノ宮は書類の山を見上げ、真摯な瞳で鳩羽を振り返った。

「お仕事が溜まっているのでしょう?何かお手伝いしましょうか」
「ありがたい。この書類の山をどうやって片付けようか考えていたところだ」
「その前に、一つ食べて見てはどうかしら?頭を使う時は、甘い物を食べるといいわよ」

 口の中に溶け込むような、切ない甘み。
 それは、今の彼らの感情と何故か似ていた。