幾人かは足を止め、音の主を振り返った。
三味線を弾く若い娘。
長い黒髪を優雅に揺らし、巧みな手付きで弦を操る。
手元から流れるは、古き懐かしき謡。
音が途切れると、集まった人々は喝采して銭を投げて寄こした。
少女は白い頬を微かに上気させ、お辞儀をした。
その愛らしい笑顔にまた、投げ銭が増える。
その時、人垣を割って一人の若者が現れた。
育ちの良さそうな若者は転がるような勢いで彼女の前に飛び出すと、一息に捲し立てた。
「姫様――――! よくぞご無事でいらっしゃいました!姫様がお姿を隠されてからというもの、この御月佐和人、一時も心の休まることは無く・・・」
「おいおい佐和人、姫様がびっくりしてるだろ!」
人垣の間から、もう一人若者が姿を現した。
前の若者とは対照的に日焼けした元気そうな少年だ。
三味線を弾いていた娘は大きく目を見開いて二人を見詰めている。
「十年以上も会ってなかったんだろ?もっと落ち着いて挨拶しろよ。・・・それに、姫様のことは周りに知られない方がいいんじゃないか?」
「数寄若・・・そうだったな。すみません、取り乱してしまって。覚えておいででしょうか――――」
その時、若い女がこの場に現れた。
大人びた美女は若者達の目から少女を隠すように立ちはだかる。
「あなた達、一体何者?私の妹に何か用かしら」
じろりと非友好的な視線を二人に投げかける。
佐和人は怯む事無く、その目を見返した。
「私達はずっとそのお方を探しておりました。どうか、お話させて頂けないでしょうか」
「まだしつこく追ってくる奴がいたのね。この子を連れて行くつもりなら、容赦はしないわよ」
女の目が鋭く光る。
彼女と佐和人の間に、数寄若が割ってはいる。
「待って下さい! 彼女に危害を加えるつもりはありません。ただ、友達に会いに来ただけです」
「嘘を吐くと後が怖いわよ?」
「姉さん、待って!あなたは佐和人ね?昔御月のお屋敷でお世話になったわ」
少女の言葉に佐和人の顔がぱっと明るくなる。
「ああ、姫様! 覚えておられたのですね!感無量です!」
「ちょっと、何の話よ?」
「まあ、場所を変えよう」
数寄若は面白くなさそうな顔の絢と感激に浸ったままの佐和人を見て、少女に声を掛けた。
妖ノ宮と絢が住む長屋の一室で、佐和人と数寄若は神流河について語った。
妖ノ宮が姿を消してから数ヶ月。
四天相克に決着がつかず、神流河は内乱状態に陥った。
その混乱の中で佐和人も自らの地位を失い、妖ノ宮を探す旅に出る。数寄若もそれに付き合うことにした。
妖ノ宮の後盾であった夢路も行方不明だという。
(まあ、夢路のことだから、どこかでしぶとく生きてるような気がするけど)
一通り神流河の様子を聞いた後、妖ノ宮は自分の話を始めた。
絢と一緒に神流河を出、追っ手を振り切って遠い国までやってきた。
最近は追っ手も来なくなったので、この町に落ち着いて、絢の占いと妖ノ宮の三味線で生計を立てている。
「姫様には姉上がいらしたのですか!そのようなお話を伺ったことはございませんが・・・」
「ええ、私も最近知ったばかりなの。まあ、色々あったけど、これからはずっと仲良くしていくつもりよ」
「良かったな、姫様!とにかく、姫様が無事で安心したよ。佐和人はずっと心配してたんだぜ」
「僕は毎日毎日姫様にお会いしたい、ご無事なお姿を拝見したいとただただそればかりを願っておりました。
こうして再び巡り会うことができ、心の底から感謝致します。ああ、子供の頃からこの日をどれだけ待ちわびたことでしょう!」
「気持ち悪いわね、あなた」
ピシッ。
空気に亀裂が走る。
絢は凍りつくような視線を佐和人に送りつつ語る。
「十年も昔にちょっと会っただけなんでしょ? 普通、ろくに覚えちゃいないわよ、そんなこと」
「そんなことはございません!」
がばっと佐和人は立ち上がり、拳を握り締めて力説する。
「姫様忘れることなどありえません!世の中にこれほど美しく、清らかな御方がありましょうか!!」
ふんと鼻を鳴らして絢は茶を啜った。
「で、下心むき出しでこんな所まで追っかけてきたわけ? ますます危ないわね。ミヤ、こんな奴に近寄っちゃ駄目よ!」
「それは誤解というものです! 僕が姫様に危害を加えることなど、絶対ありません!」
数寄若が気まずい空気を紛らすように割ってはいる。
「あー、佐和人。姫様の元気な顔も見られたしさ、今日はもう帰ろうよ。
なーに、佐和人が真剣なのは確かだしさ。お姉さんもそのうちわかってくれるよ」
「ごめんね、佐和人。また今度会いましょう」
「姫様!僕はいつでも姫様をお待ちしています!」
「いいからさっさと帰りなさいよ」
数寄若に引きずられるようにして佐和人は帰っていった。
妖ノ宮は、不機嫌な顔のままの姉に向き直る。
「姉さん。佐和人は悪い人じゃないわ」
「・・・そう? まあ、ミヤとあいつのことだもの、私にわかるわけないわよね」
姉の拗ねた口調に妹の顔に微笑が浮かぶ。
「佐和人はいい友達だったわ。でも、私にとって一番大切な人は姉さんなの」
妹のしんみりした口調に、姉の頑なな表情が和らいでゆく。
絢は少し寂しげに笑った。
「嫌ね。こんなことで不安になってしまう。一度捨てられたからって」
「もうそんな心配はしなくていいの。姉さんがいてくれて、私も幸せだもの」
「ありがとう、ミヤ」
その部屋の前。
長屋の壁にもたれるようにして、姉妹の会話を聞いていた二人の少年は、軽く吐息をついた。
「お姉さんもずっとミヤと離れ離れで寂しかったんだよ。佐和人ならその気持ち、わかるだろう?」
「うん・・・。そうだな、姫様が幸せならそれでいいんだ。何も姉君を除け者にするつもりはないんだから。これからゆっくりわかってもらえればいいさ!」
「そうさ! 大事な人は何人いたっていいんだ、皆で仲良くやっていくのは、きっと楽しいぜ!」
佐和人は晴れ晴れとした顔を空に向け、大きく拳を振り上げた。
「そうだ、僕の夢はこれからなんだ! 頑張ります、姫様!・・・っと、うわあ!?」
「佐和人ー!?」
ぶわっと空気が大きく流れる。
突風が佐和人を巻き上げ、通りの向こうへと運び去った。
大きく水しぶきを跳ね上げて、佐和人は川の中へと叩き落される。
数寄若は慌てて親友を追いかけていった。内心首を傾げながら。
(変だなあ・・・。今の風、建物の方から吹いてきたような?)
妖ノ宮は妖力の流れを感じ取り、竃の前から姉を振り返る。
「どうしたの、姉さん?」
「何でもないの、ちょっと害虫を駆除しただけ」
絢は妹に背を向けたまま、にやりと笑った。
(ふふふ。そう簡単にミヤが手に入るなんて思わないことね。ミヤを幸せにするのはこの私よ。一番の座を譲るつもりなんか無いんだから!)
身分の差以上に強大な壁が、佐和人の前に立ちふさがろうとしていた。
「姫様ー! 姫様のお好きなお饅頭をお持ちしました!」
「そんなもの、犬の餌にでもくれてやりなさい。ミヤ、私の手作りの方が美味しいわよ!」
「あはは、姫様も大変だなあ!」
「大丈夫よ、お饅頭ならいくらでも食べられるもの」
一年前には予想だにしなかった、思いがけない未来。
それでも、彼らは皆幸せには違いなかった。