花と団子


 日差しは日を追うごとに暖かくなり、花も次第にほころび始める。
 ようやく冬が終わり、春がやってきたのだ。
 風雲城の奥深く、軟禁同様の生活を送る妖ノ宮も、春の訪れを実感していた。

 とは言っても、部屋から出られない彼女にできることは、
 せいぜい庭に下りて花や木や、塀に囲まれた小さな空を眺めることだけ。
 この日も妖ノ宮は、桜の木の下に佇んで、ひらひらと袖に舞い降りる花びらをぼんやりと見詰めていた。

 遠くかすかに、賑やかな楽の音が風に乗って漂ってくる。
 今日は、神流河中の領主や著名人を招いて宴が開かれているのだ。

 覇乱王の領土は拡大する一方であり、その勢威は日毎に高まっていく。
 その治世を祝う宴はさぞ盛大なものであろう。

 そこには、この庭とは比較にならないほどたくさん、桜の花が咲き誇り、辺りは薄紅色の霞のような花の波と舞い散る花びらで、美しく彩られていることだろう。  奏者達は競って宴を盛り上げ、着飾った人々は皆楽しそうに笑いさざめき、一流の料理人は贅を尽した最高の料理を提供し、菓子職人は咲き誇る花にも負けない色とりどりの華やかで繊細な菓子を卓一杯に並べていることだろう。

 なぜ自分だけこんな所に閉じ込められなくてはならないのか。
 妖の宮の瞳に怒りが灯る。

(思いっきり火遊びでもしてやろうかしら)

 だが、それはそれで後が面倒だ。
 それに自分がしたいのは、そんなことではない。
 桜並木を眺め豪華な食事を楽しむことである。

 そっと部屋の中を見回す。
 自分の他には誰もいない。
 今日は控える女中も少ない。
 多くの者は宴の手伝いに狩り出されている。
 ・・・・・・城全体の女中や兵の数も、いつもよりずっと少ないに違いない。

 妖ノ宮はしばし思案すると、悪戯っぽい笑みを浮かべて、部屋の中へと戻っていった。



 ふわふわした極楽の雲のような花の下。
 集まった人々は、思い思いに宴を楽しんでいた。

 ほろ酔い加減のとある領主は、丸い顔を赤く上気させて、通りがかった少女に話しかけた。
 豪華な着物を来た少女は、可愛らしい顔に似合わず旺盛な食欲で皿を次々と空にしている。

「いや〜素晴らしい桜ですなあ。まるで覇乱王の威勢のように見事ではありませんか!」
「そうですね」

 彼女は領主を適当にあしらうと、口元を上品に拭い、他の卓へと去っていった。
 女中達が慌てて追加の料理を運んでくる。
 はて、今のはどちらの姫君だったかな。
 領主は内心首を傾げつつ、その後ろ姿を見送った。


 城を抜け出してからは案外簡単だった。
 自分の顔を知っている者は少ない。
 堂々としていれば怪しまれることはないのだ。

「妖ノ宮?もしや、主は妖ノ宮ではないか?」

 突然、名を呼ばれて妖ノ宮は身を竦めた。
 振り返ると、見事なふさふさした白い毛を靡かせた狼が不思議そうにこちらを見ている。

 会ったことはないが、話には聞いている。
 覇乱王が森の妖を配下に加えたと。
 この狼は、森長・伽藍に違いなかった。

「なぜここに・・・。いや、言わずとも知れたこと。このような日に部屋の中に閉じ込められたきりでは気が晴れまい」
「そうよ。だから、私のことは内緒にしててね」

 伽藍はにっこり笑って請合った。

「もちろんだとも。存分にくつろいでゆくがよい。この菓子は美味いぞ。主もどうだ?」

 伽藍は妖ノ宮にお菓子を勧めながら、妖の話などをしてくれた。
 そうしているうちに、伽藍が人垣の向こうを見やって、眉根を寄せた。

「ム。元紀どのがこちらに来る。主はこの場を離れた方がよい」
「ええ。じゃ、伽藍、また今度ね」
「うむ。ここの桜も良いが、波斯の森の桜も美しいものだぞ。いつか主に見せたいものだな」

 菓子を手早く風呂敷に包み、妖ノ宮は伽藍に手を振って人ごみに紛れた。


 慌てて人並みを掻き分けていくうちに、誰かにぶつかってしまった。

「ご、ごめんなさい」

 顔を上げると、そこにいたのは不機嫌な顔をした長髪の男。
 妖ノ宮には目もくれずにその男は叫んだ。

「正義!正義はどこだ!くそっ、ちょっと目を離した隙に・・・!」

 うろたえる男に、仮面を被った人が近づき、遥か遠くの人だかりを指す。

「夢路様、あれじゃないですか?」
「やっと見つけたぞ!正義ー!!」

 赤月の長・夢路は絶叫しながら猛スピードで去っていった。
 その後姿を呆然と見送りつつ、妖ノ宮はひとりごちた。

「変な趣味」



 宴に混じってからどれほどの時が過ぎただろう。
 妖ノ宮は疲れを覚え始めていた。

(いつもはこんなに沢山の人と会うことはないものね・・・)

 だが、もう少し桜の花を眺めていたい。
 人だかりに背を向けて、川のほとりの桜の木に寄りかかる。
 川岸の向こうも同じような薄紅の花盛り。
 花びらはひらひらと舞うように零れ落ち、草の上に、土の上に、そして流れる水の上にも紅を描く。

(・・・・・・きれい)

 ずっと昔、こんな景色を見たことがあった。
 その頃には、一緒に見る相手がいたような気がする。


   ――――ミヤ、こっちこっち!
   ――――まって、・・!


 自分と同じ年頃の――――女の子?
 遠い記憶はおぼろげで、もはやその影さえも掴めない。
 なぜ、あの子は自分の側からいなくなってしまったのだろう――――。

 そんな感傷を抱いていたからだろうか。
 背後から人の足音が近づいてきても、妖ノ宮は振り返ろうともしなかった。

「失礼、先客が居られましたか」

 低い、男の声。
 ゆっくりと振り返る。
 風が花びらを散らす。
 その向こう側に、眼帯を着けた長身の男の姿が見えた。

 誰だろう?
 まあ、誰でも同じか。
 妖ノ宮は対岸の桜並木に視線を移す。

「この場所は、別に私だけのものではないわ。一緒に見てもかまいません」
「では、そうさせてもらいましょう」

 隻眼の男は微かに微笑むと、妖ノ宮の隣に腰を下ろした。

「私は加治鳩羽と申します」

 ああ、彼が鳩羽将軍なのか。
 もとは敵国の将軍として、覇乱王に苦戦を強いた武将だ。
 今は神流河の将軍として、四天王と呼ばれるまでになっている。
「失礼ながら、いずれの御家中の姫君にございましょう」

 妖ノ宮は出任せを喋ろうとして、口をつぐんだ。
 どうして、こそこそ隠れていなければならないのか。
 自分も覇乱王の子の一人に違いないのに。

 世間に恐れられる妖の姫。
 その正体を知ってどんな反応を示すか、見てやろう。

「私は覇乱王の娘。妖ノ宮と呼ばれています」

 その言葉に、鳩羽は沈黙した。
 困惑した表情のまま、妖ノ宮を見詰めて思案している様子である。
 冷めた心で妖ノ宮は鳩羽の出方を待っていた。

(逃げたければそうすればいい。いつものことだもの)

「・・・・・・その妖ノ宮が、なぜここに?」

 鳩羽はようやく搾り出すように、それだけを尋ねた。

「さあ、何故かしら。ひょっとしたら、本物の私はまだ部屋の中にいて、ここにいるのはただの幻かもしれないわ」
「幻も菓子を食べるのですか?」

 足元の風呂敷の上には、桜餅や団子や羊羹や饅頭などの菓子が山積みになっていた。
 妖ノ宮は少し頬を赤くした。
 鳩羽が微笑んだ。

「茶を一杯頂いて参りましょう。菓子だけでは食べにくいでしょう」

 鳩羽は立ち上がって宴席の方へと向かった。
 妖ノ宮は頭に疑問を浮かべながらその背を見送った。
 彼の態度に自分への嫌悪感は感じられなかった。

(このまま帰って来ないかもしれないわね)


 だが、鳩羽は間も無く戻ってきた。
 抱えてる盆の上には、二つの茶碗。
 それだけではなく、新しいお菓子まで乗せていた。

 妖ノ宮の心のうちは疑問で一杯だった。
 鳩羽将軍が妖に好意的だという話は聞かない。
 どうして――――。

「どうして、こんなところに来たの?」

 少し遠まわしに尋ねると、鳩羽は苦笑した。

「このような席は苦手です。気の利いた会話の一つもできませんから。こうして、静かに花を眺めている方がいいのです」
「そうね。せっかくのお花見だもの。花を見なくては意味がないわ」
「はい、戦続きで季節の流れなど忘れがちですが、こういう時間も必要なのかもしれません」

 桜を眺める将軍の表情は和やかで、「狂犬」などと言う仇名とは相容れなかった。
 並外れた戦の才で、敵ばかりか味方にも恐れられる鳩羽。
 神流河に降った後でも、彼に敵意を向ける者は多い。
 かつては敵国艶葉の将軍として、大勢の神流河兵を死に至らしめたのだから。

 ――――彼もまた、逃げてきたのかもしれないと思った。


 茶碗が空になる頃、慌しい足音が近づいてきた。
 兵士が一人、鳩羽の方に向かってくる。

「鳩羽様、こちらにいらっしゃいましたか?覇乱王がお呼びです!」
 鳩羽は立ち上がると、妖ノ宮に向き直る。
 名残惜しげに見えるのは気のせいだろうか?

「馳走になりました。私はもう行かなければならないが、あなたも、見つからないうちに帰るとよいでしょう」
「ええ、また・・・」

 妖ノ宮は言葉を飲み込んだ。
 あの部屋から出る当てもない自分に何が言えるだろう。
 再びこのような時間を持ちたいと願っても無駄ではないか。

「楽しかったわ。さようなら」

 一人残され、ぼんやりと桜の並木を見詰める。
 桜色の饅頭を一口齧る。
 何となく、香気が抜けてしまったような気がした。



 ただ、それだけのことだった。
 ・・・・・・それ以上を望める身でもない。

 だから、その後一年を経ずして覇乱王が死去し、彼の元に身を寄せることになるとは、妖ノ宮には知るべくも無いことだった。