「姫様?寒いのか?俺があっためてやろうか〜?」
「結構よ。そこで待ってて」
背後に控える興之介に背を向けたまま、妖ノ宮は薄野の中へと入り込む。
背の高い薄に囲まれて、一部ぽっかりと開けた地面がある。
つい最近掘り起こされたように見受けられた。
他に目印は無い。
彼がここに眠っていることは、誰にも知られてはならないのだから。
次の春にはきっと、生い茂る草がこの墓所を隠すだろう。
その空き地の上に、妖ノ宮は抱えていた花を置いた。
紫色の桔梗の花。
両手を合わせ、妖ノ宮は拝む。
無駄なことなのかもしれないと思いつつ。
彼の魂が安らぎを得ることはできるのだろうか。
非業の死を遂げた、他の多くの亡者のように幽冥に落ち、未だに苦しんでいるのではないか。
妖の姫に関わったばかりに。
夕暮れの空徐々に色を深め、淡い茜色から鮮やかな緋色へと変わってゆく。
彼の流した血のようだ・・・・・・。
きっかけは、些細な一言だった。
幼馴染みの御月佐和人。
彼は妖ノ宮との再会を喜び、実に素直にその好意を示した。
長い間孤独な月日を送ってきた妖ノ宮にとって、心和む相手ではあったのだが・・・。
いつの間にか、妖ノ宮の胸の内には、小さな苛立ちが芽生え始めていた。
彼は一点の曇りもなく――――妖ノ宮を身も心も美しい姫と慕っていた。
だが、妖ノ宮は思う。
私は佐和人が思うような、心優しい娘ではない。
彼が想うのは、本当に自分なのだろうか?
誰か他の姫と間違ってはいないか。
そんな違和感が、あの致命的な一言を言わせたのだろうか。
『数寄若って素敵な人ね』
佐和人に向けたその言葉から全てが狂いだし、佐和人は数寄若を刺殺して姿を消した。
焦がれ続けた姫の真の姿を知って。
今、佐和人はどうしているのだろうか。
他人事のようにぼんやりと考える。
この先会うことがあっても、それは自分の知っていた彼ではない。
彼もまた、死んだのだ・・・。
そして、妖ノ宮には何故、こんな結果になったのかわからないのだ。
まともに人と話すこともない、孤独な時間を長く過ごしたせいか。
それとも、妖の娘だから――――人の心が理解できないのか。
彼らを嫌っていたわけではない。
妖の姫である自分に訳隔てなく接してくれて、嬉しかった。
流れ落ちる透明な雫は、何だろう?
悲しいはずはない。
自分が彼らを殺したのだから。
ざわざわと、風が薄の穂を揺らす。
赤い蜻蛉がゆったりと紅の空を舞う。
あの、紅い夢。
父が死去した夜も、同じ夢を見ていた。
あれは、本当に夢だったのだろうか。
無意識のうちに妖力を振るっている可能性もあるという。
自分を閉じ込めていた、強大な覇王。
父が生きている限り、自由になれないことがわかっていた。
火遊びをするたびに、炎の中に覇乱王の姿を見ていたのではないか。
身を覆うばかりの薄の中に身を隠しながら、妖ノ宮はこのまま消えたいと願った。
しばしの間を置いて、妖ノ宮は興之介の前に現れた。
白い顔には何の感情も表れていない。
「もういいのか、姫様?」
「ええ。座所に戻るわ」
「おう、護衛は任せな!ばっちり寝所の奥まで送ってやるぜ!」
「馬鹿ね」
いつもの調子で告げる妖ノ宮に、興之介もまた何事も無かったように答える。
それでも、興之介が何もかも承知しているように、妖ノ宮には思えた。
興之介は軽口を叩きながら、こっそりと妖ノ宮の表情を探る。
冷ややかに落ち着いた顔。
彼が良く知る、「妖ノ宮」だった。
何の痕跡もないのに、何処かに涙の跡が潜んでいるようで、興之介は戸惑った。
(そうだ、何も躊躇うことはない――――)
使命を思い出し、心を奮い立たせるも、気は晴れなかった。
気づくと、妖ノ宮がじっと自分を見上げていた。
「興之介はもうすぐ大きな事をするつもりなのでしょう?」
「ん?ああ、もう姫様の耳に入ったのか〜。色男は辛いねえ。何、もうすぐわかるさ。もうすぐな!」
「そう、もうすぐね」
頭上の緋色を見上げながら、妖ノ宮は呟く。
興之介は心がざわめくのを感じつつ、一つの確信を抱いた。
自分は必ず使命を果たす。
帰る場所を失くしたとしても。
それが彼女達の――――彼女の願いだから。
(全て意のままに――――あなたの望む最期を)