陽の当たる場所で


 日差しの暖かい、ある午後のこと。

 陣地の片隅の、大きな木の根元に座っている少女を見つけ、将軍加治鳩羽は足を止めた。
 しばらく前から、妖ノ宮がここで訓練の様子を見物していたのは知っていた。
 だが、今彼女は瞳を閉じ、背後の大木に寄りかかって、穏やかな寝息を立てているのだった。

「妖ノ宮・・・」

 声を掛けようとして、鳩羽は躊躇する。

 父の死によって彼女の環境は激変した。
 城の奥深く人目に触れないように大切に育てられた姫が、遺児として政争に駆り出されることになったのである。
 妖ノ宮の働きかけによって、鳩羽陣営の勢力は着実に増してきている。
 難なくこなしているように見えても、色々と疲れが溜まっているのかもしれない。

 陽だまりの中、眠る少女はいつもに増して小さく、幼く感じられた。
 楽しい夢を見ているのか、口元には淡い微笑を浮かべている。

(起こすことはないか)

 だが、このまま外に置いておくわけにはいかない。
 鳩羽は両腕で少女を抱え上げた。

 華奢な体は思った以上に軽かった。
 高級な香であろうか、何の匂いかはよくわからないが、良い香りが漂ってくる。

 姫は安らかな表情のまま、鳩羽の胸に身を預けている。
 その白い横顔にどきりとしたが、為すべきことを思い出し、座所の方へと向かっていった。




 廊下を歩いていると、前方からばたばたと賑やかな足音が近づいてくる。
 咲は鳩羽が妖ノ宮を抱えてくるのを見て、目を丸くした。

「あれ、宮様!?どうしたんですか!?」
「案ずる事は無い、眠っているだけだ」

 気恥ずかしさを押し隠して鳩羽は答えた。

「はい、宮様も起きたみたいだし、大丈夫ですね。じゃ、これで!」

 咲は慌しく走り去り、鳩羽は妖ノ宮に声を掛けた。

「姫、目が覚めたのか?」

 返事は無い。
 見下ろすと、妖ノ宮は固く瞳を閉じたままだった。

(間違いか)


 通りすがりの女中に襖を開けさせ、妖ノ宮を部屋の中に運び込んだ。

「・・・む」

 さて、どこに下ろしたものか。
 座布団は小さすぎるし、布団を敷く時間でもない。
 かといって、敷物の上に置いてゆくのも――――。

 胸元から細い声が聞こえた。

「・・・あの、鳩羽。もういいですから、下ろして下さい」
「ああ、起こしてしまったか」
「いえ、今起きたばかりですから・・・」

 妖ノ宮は顔を赤くし、何処か言い訳染みた口調で呟く。
 鳩羽は妖ノ宮を敷物の上にそっと下ろした。

「ありがとう、鳩羽」
「外で寝るのは控えた方が良い。体が冷えてしまう」
「寝ていた訳じゃないのよ。供に餌を上げて、遊んでただけ」

 そう言えば、先程供の餌を頼まれたと、鳩羽は思い出した。

 外には出られない、妖ノ宮だけが知る存在と聞いて、空想の類かと思ったが、餌を食べることからして、そういうものでもないらしい。
 放っておいても餓死はしないそうだが。

「向こうの座所に居る時は、外の音もぜんぜん聞こえないの。私にしか見えない世界だし、人から見ると眠っているようにしか見えないのね」

 そんな話を聞くと、やはり普通の娘とは違うのだと思う。
 他の者が一切干渉できない、妖ノ宮だけの世界。

 何故か、鳩羽は寂しさを覚えた。

「誰も、あなたの世界を乱せない。・・・その座所は、あなたにとって本当に安らげる場所なのだな」
「・・・見たい?私の真の座所を」

 茶色の瞳が妖しい光を帯びる。
 鳩羽は恐れつつも同時に強く惹きつけられるものを感じた。
 魂を吸い取られるような感覚に抗う。

「いや、そこはあなただけのものにしておくといい。あなたの生活には、そんな世界も必要なのだろう」
「・・・・・・」

 妖ノ宮はじっと、心の奥底までを見透かすように鳩羽の目を見詰めていた。
 その瞳の奥に深い孤独を感じ、鳩羽は真っ直ぐに彼女の目を見返した。

「あなたのもう一つの座所に魅力を感じることは否定しない。だが、そこは他の者が踏み込んではならない場所だ。
人ならば、そう思うもの。私は人でありたい。そして、あなたにも人として生きることを望む」

 金茶の瞳がふと和らいだ。

「・・・そう。いいわ、それが、あなたの願いなら」

 あやしの姫の瞳から心を掻き乱す妖しい光が消える。

「こうして、日の当たる場所で会う方が幸せだもの。――――それに、あなたが消えてしまったら、もうさっきみたいに・・・」

 妖ノ宮は頬を紅潮させて言葉を切る。

「何でもないわ。まだお仕事が残っているのでしょう?時間取らせて悪かったわ」
「いや、もう少し話をしよう。あなたとは、まだ話すべき事が沢山あるように思う」

 妖ノ宮は微笑み、頷いた。
 日の光にも似た暖かな笑顔であった。