キュウマは一人、いつもの場所で月を眺めていた。
こんな夜にはいつも、彼女と共に月を眺め、さまざまなことを語り合ってきた。
それだけに一層、寂しさが募る。
言えずにいた想いが溢れ出す。
今度こそ、彼女が帰ってきたら――――。
月の光は静かに大地を照らしている。
アティは書き終えた手紙を畳み、便箋にしまい込んだ。
これで、故郷の皆も安心するだろう。
・・・島にも手紙が出せるといいのに。
窓越しに月を見上げる。
白い月は以前見た時と何も変わることなく、アティを見下ろしていた。
窓を開くと、冷たい夜風がカーテンを揺らし、明るい月の光が部屋いっぱいに差し込んでくる。
目の前に広がるのは、立ち並ぶ家の屋根。その先の大きな港の向こうに黒々と波打つ海がかすかにのぞく。
見たいのは、こんな景色じゃない。胸苦しいほどの郷愁に襲われる。
こんな夜にはいつも、あの場所であの人と――――。
(会いたい・・・)
月の光は分け隔てなく全てのものに降り注ぐ。
どこまでも続く青い空と輝く太陽。
鮮やかな緑に覆われた野山の間には、清らかな水を湛えた水田。
(帰ってきたんだ!)
アティは心も軽く懐かしい風景を見渡した。
道の向こうにから、銀色の髪を靡かせて、キュウマが歩み寄ってくる。
待ち望んでいたその笑顔に、思わずアティも笑顔になる。
駆け出したアティにキュウマは手を差し出し、互いの手が触れ合う瞬間、
ガタン!
大きな音を立てて窓枠が壁に叩きつけられた。
アティは、机に突っ伏して眠っていた自分に気がついた。
窓の向こうは先ほどと変わることなく、夜空に浮かぶ月がアティを静かに見下ろしている。
アティは溜息を付いて窓枠に手を掛けると、黒く揺らめく海を見詰めた。
(必ず、帰ってきますから)
その言葉をもう一度繰り返し、窓を閉じた。
カーテンが引かれ、部屋は闇の中に沈む。
「それでですね、キュウマさん・・・あっ。・・・えーっと、私が言ったんですよね。二人の時はキュウマって呼ぶと」
キュウマは彼女に微笑みかける。
「無理をしなくてもいいですよ。もちろんそう呼んで頂けると嬉しいのですが。アティ」
「前は私より言いにくそうだったのに。どうしてキュウマさ・・・キュウマの方が咲きに慣れるんですか?」
「あのままでは情けないですから。特訓をいたしました」
「そんなことまで真面目に練習しちゃうんですか」
アティが島に帰って初めて、風雷の郷を見下ろすいつもの場所で彼らは語り合っていた。
夜風に吹かれながら、キュウマは、
「今こうしてあなたと二人でいることが信じられないように思えます」
「必ず帰ると言ったじゃないですか。信じてくれなかったんですか?」
少し拗ねた口調でアティが言うと、キュウマは困ったように、
「いえ、そうではありませんが、待つ時間があまりにも長く思えて仕方なかったのです」
「そう、ですね・・・。私も島のことばかり考えちゃって」
「それに待つ間に何が起こるかわかりません。元々あなたが島に来たのも船の事故なのだし、いつもあなたは危険に取り囲まれていたのですから」
アティは手を取って自らの頬に押し当てた。
「!? アティ!?」
真っ赤になってうろたえる恋人の顔を見詰め、アティはゆっくりと語りかける。
「ほら、ちゃんと私はここにいますよ。心配はしなくていいんです」
「・・・はい」
褐色の手が白い頬を優しく包み込む。
お互いの暖かさを感じながら、二人は共にいる喜びに浸った。
白く輝く月は、替わらぬ姿で二人を優しく見守っている。
満開の白い花を見上げながら、アティは語る。
「ちょうど、こんな夜だったんです。島のことが恋しくて、キュウマに会いたくて、夢を見たんです。この風雷の郷で会う夢」
アティは照れ笑いをして、
「どれだけあなたに会いたがっていたんでしょうね、私は」
「・・・リィンバウムではそう考えるのですね」
「?」
「シルターンでは、夢の解釈は逆になります。・・・つまり、誰かに会いたいと思っていると、その人の夢の中に自分が現れるのです」
「!」
二人はしばし無言で赤い顔のまま向かい合っていた。
アティがふわりと柔らかな笑みを浮かべる。
「それじゃ、どちらも正しいって考えてもいいですよね?」
「はい、きっと」