かくれんぼ



 妖ノ宮は机に両肘をついたまま、不機嫌な顔で部屋の入り口を睨んでいた。
 約束の時間はとうに過ぎている。
 また仕事が終わらないのだろう。

 仕方が無いと思いつつ、楽しく過ごすはずだった時間を思い浮かべると、苛立ちが募るのであった。
 お菓子の入れ物に手を突っ込んだが、空しく指先が入れ物の底に触れるだけ。
 中は既に空になっている。

 きっと開く気配もない襖を睨む。

(いいわ、来ないのなら・・・)

 妖ノ宮はすっくと立ち上がると、ぐるりと部屋の中を見回した。




 それから半刻。
 慌てふためいた足音が近づき、襖が開かれた。

「遅れまして、申し訳ありません!御月佐和人、只今参りました!」

 返事は無い。
 部屋の中は静まり返って、人の影は見当たらなかった。
 佐和人はがっくりと肩を落とす。

(ああ・・・。お待ち頂けなかったか。また、姫様のご期待を裏切ってしまった・・・)

 衣装箱の蓋がそっとわずかに持ち上がる。
 その下で、愉快そうに茶色の瞳が煌く。

「姫様・・・。お会いしたかったのに・・・・・・」

 佐和人はうな垂れたまま、独り言を呟いている。
 しばしの後、佐和人は顔を上げ、決意に満ちた眼差しで天上を見上げる。

「ですが、姫様!この御月佐和人、いつまでも姫様を失望させたままではおりません!必ず、姫様に相応しい男になってみせます!」

 衣装箱の中で妖ノ宮は笑いを噛み殺した。
 佐和人が振り返る気配を感じて、蓋を閉める。

(せめて、お詫びの気持ちだけでも伝えなければ)

 机の側に、筆と硯が置いてある。
 佐和人は筆を取り上げた。

(これで、姫様に伝言を・・・)

「済みません姫様、少々お借りします」

 眉を寄せ、真剣そのものの表情で手紙を書き終わると、佐和人は筆を置いて一息ついた。

「これでお気持ちを和らげて下さるだろうか。いや、赦してくださらなければ、誠意が通じるまで伝えるのみだ!」

 熱く叫んだ後、佐和人は何かを思いついたように筆に目を落とした。

「そういえば、これは姫様がいつも御使用になっている筆・・・。もちろんこの机も、そうだ、この座布団だって・・・!」

 恍惚とした面持ちで視線を宙に彷徨わせていた佐和人は、はっと目を見開くと、座布団から飛び降りた。
 何事かと妖ノ宮は衣装箱の隙間から見守っていると、佐和人は座布団に向かって平伏した。

「申し訳ございません!わずかの間とはいえ、姫様に対して飛んだ邪心を!」

 妖ノ宮は声を抑えて笑い転げていた。
 隠れていたお陰で、ずいぶんと面白いものが見えた。
 遅刻の事は赦してやろう。

 それにしても、こうして佐和人を観察していると、何だか懐かしい気持ちになる。
 確か、昔にもこんなことがあった。




 理由は忘れたが、その時妖ノ宮は佐和人に腹を立てていた。
 だから、佐和人が来る時間になると、隠れてやり過ごそうとした。
 その後、どうしたんだっけ。

 覗いていると、佐和人は寂しそうな顔で帰り支度をしている。

 そうだ、あの時は佐和人が泣き出してしまったから、外に出ることにしたのだ。

「ごめんなさい、佐和人。もう遅刻の事は赦してあげるわ」

 振り返った佐和人は妖ノ宮を見つけ、満面の笑みを浮かべた。

「姫様!勿体無いお言葉です!お許し頂いてこれほど嬉しいことはありません。またお話してよろしいのですね?」
「もちろんよ。だけど懐かしいわね。昔もこうやって隠れたことがあったわ」
「覚えていますとも!姫様がいらっしゃらないので、悲しくてたまりませんでした。泣いていたら、姫様はお顔を見せて下さり・・・心の底から安堵致しました。
箱から中々出られなかった姫様に手をお貸ししたのが、昨日のことのように思い出されます」
「そ、そんなことまで覚えていたの?」

 妖ノ宮は頬を赤く染めた。
 当時の妖ノ宮は幼すぎ、衣装箱は大き過ぎた。
 出ようとしたら衣装箱の中で転んでしまい、佐和人に助けられてようやく外に出られたのだ。
 その時の佐和人の本当に嬉しそうな笑顔は、今でもはっきりと覚えていいる。

「姫様の事なら、何一つ忘れはしません。姫様と過ごした時間は、何よりも大切な宝です」

 佐和人は妖ノ宮を真っ直ぐに見詰めて断言する。
 古い暖かな絆は、長い時間を経ても変わらない。
 それは、自分にとっても心の拠り所だったのだと、妖ノ宮は思う。佐和人との思い出は、その後の孤独な生活を暖めてくれた。

「佐和人は変わらないわね」
「姫様もです!いえ、昔より一層お美しくなられましたが、お心は昔の優しい姫様のままです」

(でも、やっぱり昔とは違うわ)

 佐和人の視線に、かつては無かった熱を感じ、妖ノ宮は戸惑った。
 だが、それは不愉快なものではない。
 気詰まりを振り払って妖ノ宮は明るく尋ねる。

「じゃあ、お話を聞かせて頂戴。あの時のことを、もっと思い出したいの」
「はい、喜んでお話します!姫様は覚えておいででしょうか・・・・・・」

 佐和人が熱心な口調で語り出し、妖ノ宮は楽しげな顔で耳を傾ける。
 昔読んだ物語の姫と文官のように。