伝わる想い



 蝋燭の灯りが消え、部屋は暗闇に包まれた。
 妖ノ宮は暖かい布団に潜り込み、今日一日を振り返る。
 どの日よりも幸福な思いで。

 古閑との戦いに妖ノ宮が加わり、兵達の士気は大いに高まった。
 もちろん前線には出ず、できるだけ安全な後方で戦を見守っているだけである。
 それでも、妖ノ宮を「神流河の守護神」と仰ぐ兵達には絶大な効果があった。

 思い出す。
 全軍の前で、妖ノ宮が参戦を告げると、たちまち彼らの顔から疲労は消え、勇気が満ち溢れたことを。
 そして――――。

 鳩羽の顔を思い浮かべた途端、鼓動が早まる。

 一緒に戦場に立って欲しいと頼まれたその時、鳩羽は妖ノ宮に告げたのだ。
 何よりもあなたを守りたいと。
 それは、つまり――――。

(そう思ってもいいのよね?)

 あれはきっと、彼なりの愛の告白だった。
 だからこそ、妖ノ宮はそれに応え・・・・・・。

 妖ノ宮は暗がりの中で目を見開いた。

 だから自分は答えた。
 「あなたと共に」と。
 そうして、自分の気持ちを伝えた・・・つもりだったのだが・・・・・・。

(まさか・・・)

 妖ノ宮は思わず半身を起こす。

 はっきりと自分の気持ちを告げてたわけではないことに、妖ノ宮は気づいた。
 その場の雰囲気で伝わったものと思っていたが、相手は鳩羽である。
 日頃から「女人の考えは読めない」と公言している堅物の彼に、雰囲気だけで察してもらえただろうか。

(まさか、遺児として作戦に承諾したとしか思ってないんじゃ・・・)

 それは、考えられないことではなかった。
 妖ノ宮は暗闇の中で目を開けたまま、呆然と考え込んでいた・・・。




 一夜明け、春らしい穏やかな好天気になった。
 会戦まであと少し。
 その日もきっと上天気になるだろう。

 妖ノ宮はいつものように、鳩羽と話し合うべく彼の部屋を訪れた。
 入り口で足を止め、呼吸を整える。

(話をしに来ただけなんだから。別に緊張する必要ないじゃないの)

 動悸を抑えるように胸に手を当て、部屋の中へと足を踏み入れる。

「妖ノ宮。よくぞ参られた」

 妖ノ宮の姿を認め、鳩羽は微笑を浮かべた。
 昨日までとはどこか違う、優しい笑顔。
 妖ノ宮の心臓の鼓動はますます早くなった。

 鳩羽は表情を引き締めて尋ねた。

「古閑との戦の話であろうか?」
「は、はい!私も戦場に行くのですもの、良く聞いておかなければいけないと思って」

 周囲には兵士達もおり、浮ついた話などできる状況ではない。
 妖ノ宮は気持ちを切り替えて、戦いの話に集中した。




「では、今日はこのくらいで終わりとしよう」
「ええ、ありがとう」

 立ち上がろうとして、妖ノ宮はいつの間にか鳩羽と二人きりになっているのに気がついた。

(そうだわ。今のうちに・・・)

 何を聞こうというのか。

(私の気持ち、わかってますかなんて・・・) 「妖ノ宮?」

 妖ノ宮が去ろうとしないので、鳩羽は怪訝な顔をしている。

「あ、あの・・・」
「何だろうか」

 いつもと変わりない様子で尋ねる鳩羽を見、妖ノ宮は硬直した。
 少し視線を逸らし、何とか声を搾り出す。

「昨日のこと、ですけど・・・」
「ああ、何か気になることがあるだろうか。あなたの身の安全は十分に守る」
「そ・・・そういうことは、あなたにお任せしますから!それではなくて、最初にお話した時の・・・ことですけど」

 鳩羽の顔に動揺が現れた。
 思い切って口を開こうとした途端、派手な金属音が入り口の方から響いてきた。
 振り返ると、床に散らばった何本もの槍を咲が懸命に拾い集めていた。

「すみません!お邪魔するつもりはなかったんですけど・・・」
「馬鹿、何やってんだ!だからあれほど足元に気をつけろと!」
「すぐ片付けますからー!」

 重綱と一緒に廊下を片付けながら、咲が頭を下げる。

 気まずい空気の中、妖ノ宮が、
「邪魔になってるわね・・・」と呟くと、鳩羽も気の抜けた声で応じる。
「話は後程。・・・時間が空いたら姫の部屋に伺おう」




 襖の向こうから聞こえた声に妖ノ宮は飛び上がった。
 表情を引き締めて、応えを返す。

「入っていいわよ」
「では、失礼する」

 取り澄ました態度で鳩羽を迎えた妖ノ宮。
 おまんじゅうの山を見てにやにやしていたことは秘密である。
 妖ノ宮はまんじゅうを取り除いた箱を鳩羽に差し出した。

「はい、また資金を調達してきたわ。陣地の運営に役立てて頂戴」
「いつもすまない。あなたのお陰でやっていける」
「それならいいのだけど。この戦に勝っても、四天相克が終わるわけではないのよね」

 鳩羽はしばし目を閉じ、再び瞳を開くと、妖ノ宮を正面から見詰めた。

「古閑との戦いを終わらせれば、我が陣営の勢力は増す。こればかりは他の四天王ではなく、私にしかできないことだ」

 妖ノ宮は鳩羽に頷き、改めて自分が今、ここにいる意味を噛み締めた。
 四天相克の勝者となること。
 それこそが、鳩羽の目的であり、妖ノ宮の存在意義である。

 降将である鳩羽には、艶葉時代からついてきている将兵がいた。
 彼らの居場所を作るのが鳩羽の悲願であり、神流河に降った理由でもあった。
 鳩羽が力を失えば、その配下の将兵達も居所が無くなってしまう。

 次の戦いは、妖ノ宮と鳩羽のみならず、陣営の皆の未来を切り開くためのものだ。
 勝てば終わりといことにはならないだろうが、負けられないことは事実であった。

「そう、必ず勝って帰りましょう。神流河の守護神がついているんだもの、負けるはずがないわ」

 妖ノ宮の勇ましい言葉に鳩羽は微笑んだ。

「ああ、あなたがいれば、必ず。――――ところで、話とは何だろうか」

 妖ノ宮は首を振る。

「いいのよ、大したことじゃないから。それより、戦いの前には十分休んで下さいね」
「気を付ける。あなたを守るためにも」

 真摯な眼差しと想いの籠った言葉に、妖ノ宮の心はまた掻き乱されるのであった。




 無数の光が空を覆いつくす。
 墨を流したような夜空には、銀色の月。

 縁側から星空を眺めながら妖ノ宮は、つくづく環境の変化を実感するのであった。
 以前もこうして夜空を見上げたことはあった。
 空の様子は昔と変わらないのだろうが、これほど美しく見えはしなかった。

 見回りの兵が妖ノ宮に敬礼する。
 彼女も笑顔を返した。

 今なら妖ノ宮も、自分がこの陣営の一員なのだと実感できた。
 かつてのように、ただ存在していたというだけでなく。

 守りたいと、心から思う。
 愛しいと思う。

 この南風の地。
 共に暮らしてきた人々。
 誰より――――。


 微かな星明りの中で、その青い衣を眼にして、妖ノ宮は縁側から降り、駆け寄った。
 鳩羽の手の平に自分の手を滑り込ませ、想いを込めて彼の顔を見上げる。

「妖ノ宮・・・?」
「あなたを待っていたの。ずっと、出会う前から」

 愛せる人を待っていた。

「だから、ここに連れられてきたその日から、私はずっと、あなたを愛していたわ」

 驚きに見開かれる彼の瞳を笑って見つめながら、妖ノ宮は想いを語る。
 確認なんてしなくていい。
 何度でも、この気持ちを伝えればいいのだ。

「この先に何があっても、私はあなたと共に参ります。それが、私のたった一つの願いなの」

 一気に言ってしまって、改めて気恥ずかしさが込み上げてきた。
 そっと離そうとした手を、強く握り返される。
 思わず見上げると、鳩羽が優しく微笑んで、彼女の瞳を見詰めていた。
 彼の気持ちに応えたあの時のように。

「そう言ってくれて、嬉しい。心の底からあなたを愛しく想う。このままずっと、私の側に居て欲しい」

 妖ノ宮は笑い、
「私、あなたがちゃんと私の気持ちをわかってくれているか、不安だったのよ」
 そう打ち明けると、鳩羽は微笑み返しながら答えた。

「いや、確かにあなたは私と同じ想いでいてくれると、あの時は思ったのだ。
・・・勘違いではなかったかと気になりだしていたところだが」

 妖ノ宮は吐息を吐いた。
 ちゃんと伝わっていた。
 そう、愛は言葉ではないから。

「良かったわ、勘違いされなくて。でも、それならもっと恋人らしくしてくれないと」
「恋人らしい・・・とは」
「そうねえ・・・」

 二人だけで町に行って、買い物したり食事したり、一緒に馬に乗って海や野原に遊びに行ったり、
部屋でお話しながらお菓子を頂いたり、・・・これは今までと同じか。
 今は時間が無いから、戦いが終わった後にでもゆっくり・・・何から頼もうか。
 桜が満開になりそうだから、お弁当作ってお花見がいいかしら。

「ええと、・・・」
「わかった。あなたの願いなら」

 真剣な顔で頷く鳩羽に妖ノ宮は、少々大げさではないかと思った。
 まあ、戦一筋で生きてきた彼のことだから、無理もないかもしれないが・・・。

「そんなに難しく考えなくても・・・」

 突然ふわりと背に腕が巻きつけられ、胸元に引き寄せられる。
 驚いて身動きの取れない妖ノ宮の頬に暖かな手が触れ・・・。

 しばらく妖ノ宮は何が起きたのか理解できないまま、鳩羽の胸に顔を埋めていた。
 唇が触れ合ったたのはほんの一瞬だけだったから。

 だが、不器用な手付きで優しく髪を撫でられうちに、次第に気持ちが和らいでいく。

 鳩羽はそっと腕の力を緩めて、妖ノ宮を見下ろした。

「これからは、もっとあなたと共に過ごす時間を増やすよう、努力しよう。しばらくは忙しくなるだろうが・・・」
「え、ええ。仕事が終わったら、部屋の方まで来てくれれば落ち着いて過ごせると思うけど、
私の言ったのはそういうことじゃなくて・・・」
「・・・は?」

 焦ったような鳩羽の顔。

(この人はつくづく・・・)

「何か、間違っていただろうか」

 本気でわかっていないような恋人に妖ノ宮は嘆息した。

(いいわよ、そんなところだって好きだから・・・)

「いいえ。ただ、鳩羽も男の人なんだと思っただけ」
「すまない。女人の心はやはり、私にはわからない故に」
「とりあえず、戦いが終わったら、お花見に行きましょう」




 微笑み交わす彼らの向こうでは、建物の影に人だかりができていた。

(おい、ここから先は通行禁止だぞ!)
(いい所なんだから、邪魔すんなよ絶対!)
(いたた、また転んじゃったけど、聞こえてないよね?)
(なあに、投擲雷が飛んだって聞こえねえよ)
(俺・・・この戦いが終わったら嫁を貰うんだ・・・)
(バレないうちに撤収するぞ!)




 もうすぐ決戦。
 兵士達の団結によって南風の平和は保たれるに違いなかった。