闇の中に浮かび上がる白い姿。
月を見上げていた鬼の若者は声の主に目を向る。月を見るよりも眩しげに。
「アティ殿。お疲れではありませんか?」
「いいんです。今夜はキュウマさんとお話したいんです」
「では、しばらくお付き合いいたしましょう」
キュウマが微笑んで隣を空けるように退くと、アティは嬉しそうに彼の隣に並んだ。
長い戦いがようやく終わり、荒れ狂っていた島は元の静けさを取り戻していた。
淡い月の光の下、倒れた草木もひび割れた地面も穏やかに眠っているように見えた。
アティが感慨深げに語る。
「私達、この島を守れたんですね」
「ええ、あなたが最後まで頑張ったからです」
「キュウマさんこそ、何度も助けてくれてありがとうございます。お陰で、守りたかったものを守れました。でも・・・」
アティの表情が翳り、声が沈む。
剣に選ばれたもう一人の存在。
彼の最後が唯一の苦痛として心に突き刺さる。
すぐにそれを察して、キュウマは静かに言った。
「彼のことも救いたかったのですね」
「こうなることはわかっていました。だけど・・・」
その身を滅ぼすことを予感しつつも、一縷の望みを捨てられずにいた。
この先どれほど幸福になっても、きっと彼のことは辛い記憶として、いつまでも残るだろう。
ふわり、と花のような芳香がキュウマが鼻腔をくすぐった。
肩にかかる微かな重み。その心地よさにうろたえる。
「え、あの・・・」
キュウマの肩に額を押し当てたまま、アティは小さく呟いた。
「少しの間だけ、このままでいてください」
「・・・はい」
キュウマは答えるとアティの肩をそっと両手で支えた。
その暖かな感触に安らぎを感じながら、アティは瞳を閉じる。
月が雲に隠れ、影が落ちた。
「ごめんなさい、もう大丈夫です」
しっかりした口調でアティは答え、身を離した。
夜の闇の中であることを感謝しつつ、キュウマは尋ねる。
「これからどうなさいますか? もういつでも島から出ることができるでしょう」
「そうですね。アリーゼをパスティスまで連れて行かないと。そういう契約だったし、きっとお家の人も心配してるでしょうから、きちんと事情を説明しないと」
「・・・やはり行ってしまわれるのですね」
キュウマは少し目を伏せ、感情を抑えて言った。
「はい、あの子が無事に学校に入るまで、見守ってあげたいんです。島にいられるのもあと少しですね」
キュウマはアティに向き直ると、真剣な瞳で、
「いつでも、あなたの都合の良いときでよいですから、また島を訪れてくださいませんか」
「え? でも・・・」
驚いたように目を見開くアティにキュウマは重ねて言う。
「無理にとは言いません。ですが、いつかは・・・」
「あのー、キュウマさん?」
アティはなぜか呆れた口調で呼ぶ。
「キュウマさんは私を島から追い出したいんですか?」
「は? そんなことはありません! ですから、こうしてお願いを・・・」
アティは悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「もちろん、私は帰ってきます。ずっと、ここに住むために」
キュウマはあっけにとられてアティの顔を見守っている。
「・・・駄目ですか?」
少し悲しげなアティに、キュウマは慌てて、
「いいえ、とんでもありません! 自分はただ、無理なお願いをしてはならないと・・・」
「わかってます。キュウマさんはもっと欲張ってもいいんですよ? 私だってこの島に・・・あなたと一緒にいたいんです」
「ありがとうございます、アティ殿!」
「ほら、『アティ』と呼んでくれる約束じゃなかったんですか?」
「あ、すみません、その、ア・・・」
「・・・・・・」
「・・・ティ」
アティは吹き出した。
「間が空きすぎですよ、キュウマさ・・・あっ」
アティもまた「キュウマ」と呼ぶ約束を思い出して、間違いに気づく。
「先は長そうですね、お互い」
「いいえ! あなたが帰ってくるまでにはできるようにいたします!」
アティは声を立てて笑った。
長い間、聞くことのなかった笑い声。
それを聞いて、キュウマはようやく戦いが終わったことを実感するのであった。
(続く)