アティが差し棒を置くと、教室のあちこちから悲鳴が上がった。
「えー! もっと学校行きたいぞ!」スバルが抗議すると、
「終わっちゃうのは寂しいよ」パナシェは目を潤ませる。
「残念ですー・・・」マルルゥも悲しげに俯いた。
生徒達の顔を一人一人優しく見守りながら、アティは告げる。
「帰ってきたら、また学校を始めますからね。習った所はきちんと復習しておいてくださいね」
「はい! 先生さん帰ってきてくれるですね!」
「絶対だぞ!」
「僕、ずっと待ってるから・・・」
「・・・・・・」
アリーゼは表情を引き締めると、最後の号令をかけた。
「きりーっ! 礼! 先生、今までありがとうございました!」
「えっ?」
いつもと違う言葉に戸惑うアティの元へ、生徒達が一斉に押しかけた。手に手に花や果物を持っている。
「先生、ありがとう!」
「これ、僕たちの感謝の気持ちです」
「先生さん、泣かないでくださいです。マルルゥまで泣きたくなっちゃいます・・・」
「先生、本当にお疲れ様でした!」
アティ以上に涙を流しながら、アリーゼが花束を差し出す。
生徒全員を一度に抱きしめながら、アティも感謝を述べる。
「みんな、ありがとう! あなた達はみんな、とてもいい生徒でした・・・!」
暖かな日差しが降り注ぎ、優しい風が彼らを包み込む。
青空の下、最後の授業はこうして終わりを告げた。
「・・・寂しいですね」
他の生徒達が帰っていった後、アリーゼがぽつんと言った。
「はい。 でも、出航の準備をしないといけないし、島を出る前に色んなところを見ておきたいですから。それに、アリーゼの先生はもう少し続けられますよ」
「はい・・・!」
びしょ濡れになったハンカチを握り締め、アリーゼは深く頷いた。
「帝国に戻ったら、いよいよ軍学校の入学試験です。 必要なことは全て教えたはずですが、まだ何かわからないところはありますか?」
「先生! ぜひ先生に教えて欲しいことがあるんです」
アリーゼは真剣な眼差しで家庭教師を見上げた。
「何ですか?」
「恋って、どういうものですか?」
「えっ!?」
アティはまじまじとアリーゼの顔を見詰める。彼女は真面目な表情で答えを待っていた。
「あ、あのね・・・。 どうして急にそんなことを?」
「だって先生、恋人ができたんですよね!?」
「ええっ!?」
アティの背後から、元気な声が教室中に響く。
「先生! いつうちに嫁にくるんだ?」
「ちょ、ちょっとスバルくん!?」
鬼の少年はにやにやと笑って赤く染まる教師の顔を見上げていた。
「・・・わざと言ってますね、スバルくん?」
アティの声のトーンが徐々に下がってゆく。
「あっはは!」
スバルはくるりと背を向け、一目散に走り出した。
「待ちなさーい!」アティはその後を追いかけた。
「先生ー! 私の質問はー!?」アリーゼもそれに続く。
「捕まえたっ!」
「むぎゅ」
「帰ったか、スバルよ」
長い黒髪を揺らして、ミスミが3人を出迎えるように現れた。
いつの間にか、鬼の御殿の中に入り込んでいたようだ。
アティがスバルを解放すると、ミスミは悪戯息子の耳を引っ張った。
「いてて」
「おや、アティ。アリーゼも一緒かえ。ちょうど茶の用意ができたところじゃ、上がってゆくがよい」
「はい、お邪魔します」
「お邪魔します・・・」
並んで屋敷へ向かいながら、ミスミが尋ねる。
「ところで、スバルよ。今日は何をしでかしたのかえ?」
「へへへ、先生に聞いてみなよ!」
「もう!」
「うわあ、旨そうだな!」
「美味しそうです」
「それに、とても綺麗ですね」
卓の上に並べられた色とりどりの菓子を見て3人が歓声を上げる。
ミスミは皿の上に伸びた小さな手をぴしゃりとはたいて、
「これ、手を洗ってからにするのじゃぞ」
「はーい」
スバルがばたばたと走り去り、アリーゼもそれに習った。
アティもついていこうとして、思わず辺りを見回してしまう。
「キュウマなら出かけておるぞ」
無意識のうちに彼を探していたことに気づき、アティはどきりとした。
「そ、そうですか・・・」
(うーん、ミスミさまももう知ってるんでしょうか?)
鬼姫の澄ました顔を盗み見しつつ、アティは考えてしまうのだった。
暖かな湯気の立ち上る茶碗。口元に持っていくと、ほんのりと優しい香りが漂う。
共に茶を味わいながら、ミズミが語りだした。
「そなたらが遺跡から戻った後のとこじゃ。キュウマが亡き夫からの伝言を伝えてくれたのでの」
「あ・・・」アティは小さく声を上げた。 キュウマと二人で核識まで行った時、ハイネルが「リクトからの伝言」として、「達者で暮らせ」との言葉を伝えてくれたのだ。
「そこで、そなたには何と言ったのかとキュウマに尋ねたのじゃ」
「真っ赤になって怪しかったから、全部聞き出したんだよ!」得意そうに語るスバル。
「あ・・・あははは・・・・・・」
その場の様子が容易に想像できる。アティは笑うしかなかった。
「あのような男じゃが、よろしく頼むぞ、アティよ。女子の扱いについては、わらわからも言っておくでの」
「はあ・・・」
意味ありげに笑う親子とじっとみつめるアリーゼに囲まれてアティは苦笑した。
「あれ?」
「先生、誰か来てます」
船の方から海鳥の声に混じって、賑やかな話し声が聞こえてくる。
近づくにつれ、何人もの人々が船の周りを忙しく出入りしているのが見てとれた。
その中心から、アティとアリーゼに話しかける者がいた。
「お帰りなさい、アティ。最後の学校はどうだった?」アルディラが尋ねると、
「お疲れ様でした」ファリエルもにっこり笑って労を労う。
「おう、ご苦労さん」ヤッファもいつもの調子で声を掛け、
「今までありがとうございました」キュウマは深々と頭を下げた。
四人の護人達がそろっているのを見て、アティは、
「みんな、どうしたんですか?」
積み上げられた木箱の影からソノラがひょいと顔を出す。
「ほら、みんな船旅に必要なものたくさん持ってきてくれたんだよ!」
辺りを見回してみると、樽や木箱や布袋など大量の荷物が船の周囲に集められていた。
「水も食料もたっぷりあるし、船の設備だって前より立派になったわよ」スカーレルが嬉しそうに言うと、
「ああ、これなら、いつ遭難しても平気だぜ!」カイルも陽気に言い放つ。が、ソノラが呆れたように
「さすがに、それは勘弁してもらいたいなあ・・・」そう呟くと、
「ですよねえ・・・」アティもそれに同意する。アリーゼがその傍らで頷いていた。
「でも、楽しい遭難生活だったじゃない?」
スカーレルが仲間たちを振り返ると、ヤードが答えた。
「ええ、色々苦労はありましたが、貴重な経験でした。私は、この島に住むことにしましたよ。帰る所もありませんし、海賊は性に合わないので」
「えー、面白いのになあ」ソノラが頬を膨らませた。
「船が出たら、ヤードさんはどこで暮らすんですか?」アティが尋ねる。
「しばらくゲンジさんの所に厄介になりますが、住む所ができ次第、そちらへ移ります。島の皆さんが教師の宿舎を作ってくださるそうですから。私もまた学校が始まったら、教師として勤めようと思っています」
「わあ、それは助かります! ヤードさんも残ってくれるんですね! それに近くに家があれば、学校にも通いやすくなりますね」
「・・・・・・」
アリーゼが、じっとアティを見詰めていた。その視線に気づいてアティは、
「もちろん、アリーゼのお部屋もちゃんと用意しておきますからね。お休みになったら、泊まりに来てください」
「はい!」
アリーゼは心の底から嬉しそうに頷くのだった。
人の輪をすり抜けて、アティはそっとキュウマの隣に立った。
「ありがとうございます。島のみんなには本当に最後までお世話になっちゃって」
「いえ、あなた方の協力によって島が守られたのですから、これぐらいは当然です」
「お互い様ですね。でも、こうして準備を始めていると、実感します。もうすぐ島を離れるんだって」
少し寂しげな顔で船を見上げるアティ。
キュウマもしんみりと、
「・・・はい。あなた方が行ってしまわれたら、寂しくなるでしょう」
アティは気を引き立てるように、
「でも、これでお別れじゃありませんよ。アリーゼもカイルさん達もまた島に来てくれるし、私は帰ったらずっとここに住むんですから。それまで時間なんてあっと言う間に過ぎてしまいます」
「いいえ。長過ぎます。少なくとも自分には、とても長く感じられることでしょう」
「!」
想いの篭った言葉に、アティは微かに頬を染め、俯く。
「・・・ふふふ」
「?」
突然笑い出したアティにキュウマは不思議そうな目を向ける。
「やっぱりキュウマさんを残していくのは心配です。これは、どうしても帰ってあげないといけませんね」
「な・・・!」
真っ赤になって言葉に詰まるキュウマを見ながらアティはしばらく笑っていた。
「あ、あの、アティ殿・・・! 呼ばれているようなので、そろそろ失礼します」
「はーい」
楽しそうに手を振るアティ。
背後に人の気配を感じて、その手が止まった。
「あーら、センセ。ずいぶんと楽しそうだこと」
アティの肩に手を掛け、スカーレルが囁く。
「へー、ふーん。あたしたちの知らないうちにそういう仲になってたんだ。黙ってるなんて水臭いじゃない?」
ソノラは斜め下からアティの腕を引っ張りつつ、不満そうに見上げるのだった。
二人に挟まれて、アティはうろたえた。
「えーっと。 あのですね。 別に隠してたんじゃないんですよ? 本当に最近のことだし、色々あってそれどころじゃなかったし・・・」
「へえ、やるじゃない。あの激戦の合間にもしっかり愛を語り合っていたわけね」
「!!!」
スカーレルが艶っぽく囁くと、アティは火を吹きそうな勢いで赤面した。
ソノラがにやりと笑う。
「えっへへ、これはもう全部ぶちまけてもらうっきゃないよね!」
「ぜ、全部・・・!?」
「そう、全部! 出会いから告白まで、何もかもバッチリ! 聞かせてもらうからね!」
ふと気が付くと、アリーゼがやけに期待に満ちた瞳で見上げていることにアティは気づく。
「先生! 私も聞いてていいですよね!?」
有無を言わさぬその口調に、アティは断りの文句を口にすることができなかった。
翌日、ラトリクスにて。
「はい、これが風雷の郷の医療費ね」
「わかりました。後程、支払いに伺いましょう」
アルディラから明細を受け取り、退出しようとしたキュウマにクノンが話しかける。
「キュウマさま。少し、よろしいでしょうか」
「何でしょう?」
「いくつか質問がございます。アティさまにお近づきになった際、次のような症状が現れることはございますか? 体温の上昇、動悸、脈拍数の上昇など・・・」
「な、何ですか・・・? それは・・・?」
キュウマは赤くなって後退する。
クノンは淡々とした口調で、
「恋愛感情の芽生えにおいて、一般的には前述のような症状が現れると言いますが、個人差により必ずしも現実の事象と一致するものではないと伺いましたので、できるだけ正確なデータを集めておきたいのですが」
キュウマが助けを求めるようにアルディラの方を向くと、彼女は、
「クノンは今恋愛というものに興味を持ち始めているの。感情を学ぶいい機会だから、できるだけ協力してやって頂戴。それじゃ、私はこれから出かけるから」
「アルディラ殿ー!!」
「キュウマさま。先程の質問についてご返答をお願いします」
(はあー。夕べは大変でした)
アティはあくびをしながら、淡い光を放つ水晶の間を歩いていた。
「ファリエル?」
祠の中を覗くと、青白い少女の向かいに、融機人の女性が座っている。
フレイズが彼女の前に飲み物を運んできた。
「あ、アティ! 今義姉さんとあなたのお話をしてたんですよ」
「こんにちは、アティ。ちょうどいいところに来てくれたわ」
含みのある口調に、思わずアティはたじろいだ。
アルディラとフレイズが彼女を部屋の中央に連れ込む。
ファリエルが楽しそうに、
「アティ、私達お友達ですよね? 辛い事も嬉しい事も一緒に分かち合いましょう!」
アルディラも眼鏡を掛け直して、アティの赤く染まってゆく顔を興味深そうに見守る。
「うふふ、あの堅物がどうやってあなたを口説き落としたのか、気になるのよねえ。それとも、あなたの方から言い寄ったのかしら?」
フレイズも感心したようにアティを眺めている。
「恋する女性の魂の輝きはまた格別ですね。ぜひ、その秘密を教えていただきたいものです」
(あああ・・・)