妖ノ宮が姿を消してから数ヶ月。
後ろ盾の加治鳩羽は八方手を尽して彼女の行方を捜し求めた。
しかし、神流河の内にも外にも彼女の痕跡は見当たらず、ただ時間のみが過ぎていった。
古閑との熾烈な戦いの最中にあって、これ以上捜索を続ける余裕が鳩羽には無い。
何一つ手がかりを得ることもできないまま、妖ノ宮の捜索は断念された。
鳩羽は、一人部屋の中央に佇み、物思いに沈む。
最後にここで彼女と会ったのはいつのことだろうか。
いつもと変わりない様子だったと思う。
それとも、彼の与り知らぬ悩みを抱えていたのであろうか。
彼女の立場を考えると、逃げたくなっても無理は無い。
父と兄を失ったばかりで、他の兄弟とも引き離され、政権争いに担ぎ出されたのだ。
女人の心に疎い自分のこと、十分な配慮ができていなかったのだろうか。
悩みを打ち明けられるだけの信頼を自分は得られなかったのだろうか。
無論、彼女が意に反して何者かに連れ去られた可能性も十分にある。
自らの陣営の只中だといって安心はしていてはいけなかった。
もっと彼女の身辺に気を使うべきであった。
今更、何を悔いても遅いが………………。
白い月は冷たく地上を照らす。
今、妖ノ宮はどこで何をしているのであろう。
神流河のことを忘れ去り、穏やかに暮らしているのであろうか。
それとも、辛い境遇の中で助けを求めているのであろうか。それならば、何としても救いたい。だが……。
だが、今日自ら決断したのだ。
これ以上兵や資金を空しい探索に費やす余裕は無い。
それなのに、どうしようもないほど胸が痛む。
新しい陣地に妖ノ宮の部屋が作られることは無い。
だから今、こうして最後の別れを告げに来た。
二度と彼女に会うことはできないだろう。
いつもの席に着く。
妖ノ宮と差し向かいで話をする時に座る場所。
かの姫の面影が鮮やかに浮かび上がる。
光を帯びた長い黒髪、こちらを見上げるひたむきな瞳。
共に過ごした時間は短かかったのに、くっきりとその顔を思い浮かべることができる。
厳しい境遇に挫けぬ心、新しい世界に向ける生き生きとした好奇心。
その魂に触れることができないのが、無性に寂しい。
思っていた以上に、自分は彼女に頼っていたのだと思う。
これからは一人で戦わねばならないのだ。
そして、勝ち抜くことができたら、もう一度妖ノ宮を探したい。
本当は今すぐにでも、彼女を探しに行きたい気持ちであった。しかし、自分には抱えるものが多すぎる。
月の輝く空を仰ぐ。
その光の下で微笑むあやしの姫。
(綺麗ね)
幻を振り切るように鳩羽は立ち上がった。
いつまでも感傷に浸っていてはいけない。
部屋の入り口に足を向けた途端、唸るような音が耳に響いた。
振り向いた彼の視界に光が溢れ、視界が白く染まる。
光は次第に薄れ、元の静寂が戻る。
残されたのは鮮やかな緋の色。
「…………妖ノ宮?」
掠れた声が、懐かしい名を呼ぶ。
捜し求めていたあやしの姫は、目を見開いて周囲を見回していた。
「まあ……。本当に返してくれたのね!」
鳩羽は動くことができなかった。
今の光景は彼の理解を超えている。
自分はまだ幻を見ているのだろうか?
「あ…………」
妖ノ宮は、鳩羽を認めると気まずそうに目を伏せた。
「ごめんなさい……。帰ってくるのに、ずいぶん時間がかかっちゃったわ。
気がついたら知らない国にいるし、結局騙されただけだったし、でも、頑張って自力で帰ってきたわ!
もちろん迷惑をかけたことに変わりはないけど…………」
「妖ノ宮!」
鳩羽は思わず駆け出して、両手で彼女の肩を掴んだ。
暖かい、柔らかな感触。
日の光に触れた雪のように、寂しさが消えてゆく。
「本当に、あなたなのか」
「……はい」
「良かった」
しばらくそのまま時を過ごした後、再びいつものように差し向かいに座り、今までの出来事を話し合った。
「まあ、大体のことはわかった」
異人に騙され、異国へ売り飛ばされた後、様々な冒険を経て神流河に戻ってきた。
協会とか光の道とか、よくわからない部分もあるが。
「ごめんなさい……。鳩羽がそんなに心配しているとは思わなかったわ」
「帰ってきたのなら、いい。だが、もう一人で遠くへは行かないで欲しい」
鳩羽の真剣な口調に妖ノ宮は微笑んだ。
「ええ、私のことが必要なら。本当は、もう帰らない方がいいかと思ったのだけれど。
あんなに簡単に騙されるようでは、あなたの役に立てるかどうかかわらないもの。
だけど、ずっとあなたが私を探していたことがかわったから……だから…………」
差し出された手を鳩羽はしっかりと握り返した。
これからまた、厳しい戦いが始まる。
彼女がいてくれれば、きっと最後まで戦い抜けるだろう。