指切り



 百錬京の東広がる広大な森。
 その奥に神流河を統べる四天王が一人、伽藍の「妖屋敷」が存在する。
 静かな佇まいのその屋敷に、賓客が訪れた。


「おお、妖ノ宮!よくぞおいでに!」

 飛びつくような勢いで伽藍が妖ノ宮を迎え入れると、奥から感激に目を潤ませて翠が駆け寄ってくる。

「ああ・・・姉さま!お会いしとうございました!」

 素直な二人の歓迎振りに、妖ノ宮の顔も綻んだ。
 会話が一段落すると、伽藍はにこやかに妖ノ宮に告げた。

「森長としての責務があるゆえ、我はこれにて退席するが、妖ノ宮よ、ゆるりとしてゆくがよい。翠も積もる話があろう」
「ええ、それじゃ、お言葉に甘えて」

 妖ノ宮が頷くと、翠は姉の手を取った。

「姉さま、わたくしがご案内いたします。その辺りを見て参りましょう」

 姉妹は仲良く手を取り合って部屋を出てゆく。
 その後姿を見送る伽藍の顔に憂いが生じた。

「血を分けた姉妹でありながら、共に暮らすことも叶わず敵として対峙せねばならぬとは。
何とも、不憫なことよ。あの姫らのためにも、早く四天相克を終わらせねば・・・」

 伽藍の瞳にはまた、新たな決意が灯るのであった。




 さらさらと葉ずれの音が聞こえてくる。
 開け放った障子からは、心地良い風が流れ、屋敷中に新鮮な空気を送っていた。

 大国神流河の重臣の住処としては質素な家。
 だが、部屋の造りも調度も素朴で温かみがあり、住み心地の良さが伺えた。

 妖ノ宮は、百錬京の城を思い浮かべた。
 豪華な檻のような部屋。
 大叔父の冷たい目。

 父・覇乱王が生きていた頃と違い、今では多少の自由が許されるようになった。
 それでも、何か大事なものが欠けているような気がしてならないのだった。
 特にこのような所に来た時には。

 なぜ、翠だったのだろう。
 伽藍は自分のことを理想の具現と言う。
 それなら、始めから自分を奉戴しようとは思わなかったのだろうか。

 百錬京にいた頃とは見違えるように妹は生き生きとしている。
 姉としては嬉しいことだが、置き去りにされたような寂しさが、どうしても胸の内から消えないのであった。

「姉さま、お疲れでしょうか?」

 気がつくと、翠が心配そうに自分を見上げていた。
 妖ノ宮は急いで笑顔を作った。

「大丈夫よ、心配しないで」
「わたくしのお部屋で座ってお話しましょう。待っていて下さいね、姉さま。お茶を淹れて参ります」




 姉妹は、翠の部屋に向き合って座り、外を眺めながら茶を飲む。
 縁側の向こうは深い森。
 風が流れ、日の光は木々の合間から小さな光の粒を落とす。

 不思議な香りのする、妖の森の茶。
 百錬京の洗練されたものとはまた違った味わいがある。
 どこか懐かしく、ほっとするような味だった。

「伽藍様は元々、わたくし達二人を引き取りたいと仰ってました」
「えっ?でも、そんなの無理じゃない」

 あえて無理を通そうとするところは、伽藍らしくもあるが。

「ええ、四天王は四人、遺児も四人。権勢を競うには、一人しか遺児を迎えることができません。
それに、姉さまを迎えることは、大叔父上が強く反対なさって・・・。仕方なく、伽藍様はわたくしだけをお連れになったのです」

 そう、あの大叔父なら考えられる。
 大叔父・本紀は妖ノ宮を警戒していた。妖としての力と、覇乱王から受け継いだ資質を。
 妖ノ宮を選んだのは、伽藍が妖ノ宮を担ぎ、妖の勢力を高めることを阻止するためでもあった。

 翠はひたむきな瞳で姉を見上げた。

「姉さま。わたくしも本当は、姉さまと争いたくありません。このような事態が長く続くはずはないのです」

 妖ノ宮は妹の瞳を見返した。
 その曇りの無い眼差しはまぶしいほどに美しく感じる。

「約束致しましょう。四天相克が終わったら、共に仲良く暮らすことを」

 翠は柔らかな笑みを浮かべて、一心に姉を見詰めている。打算も疑いも無く、ただ純粋に。
 この妹を失望させたくないと、妖ノ宮は思う。

「約束するわ、翠。必ず一緒に暮らしましょう」
「はい!嬉しいです、姉さまにそう言って頂けて。では、指切りを致しましょう」

 翠は無邪気に笑うと小指を差し出した。
 年相応の少女らしいあどけない仕草に妖ノ宮は思わず笑みを溢す。
 翠は首を傾げた。

「何か、おかしなことでも・・・?大切な約束をする時は、指切りをするものだと伽藍様も仰いましたし」
「ううん、なんでもないわ。じゃ、約束よ」

「ゆーびきーりげんまーん・・・」

 姉妹の晴れやかな声が、森の中に響いてゆく。  風の音がその光景を優しく包んでいた。





 時は流れ、何ヶ月か後の妖の森。
 春の明るい日差しを浴びながら、二人の少女が茶を立てていた。

「いい天気ですね、姉さま」
「ええ、こんな日はお茶もいつもより美味しいわ」

 山桜がはらはらと静かに花びらを落とす中、春らしい衣装に身を包んだ少女達も花のように見えた。
 その二人を、陽光に金色の毛を輝かせて大きな狼が優しく見守っている。

「わたくしにはまだ姉さまのように上手にお茶を立てられません。どうすればよろしいのでしょう」
「そうね、こうして・・・。でも、私は翠のお茶も好きよ」
「ありがとうございます、姉さま!わたくしも上手に淹れられるよう頑張ります!」

 四天相克は伽藍の勝利に終わり、敗北した本紀は政治の表舞台から姿を消した。
 妖ノ宮は大叔父から見捨てられたが、伽藍が彼女を迎え入れ、翠と共に仲良く暮らしている。
 かつての約束の通り。

「妖ノ宮!翠!良い菓子が届いたぞ。我にも一杯・・・いや、二杯頂けるかな?」
「はい、伽藍様!」
「まあ、美味しそうね、伽藍!」

 春の光が三人の幸福な顔を暖かく照らしていた。